ず〜っと放ったらかしにしていたHP。
何と去年の3月にドクターストップ掛かった時に更新して以来、一年ぶり(^_^;)
実は3ヶ月程フィリピンに行ってました。
さてどこから話そうか?
4年位前からかな??
親父が癌になってから音楽活動を封印していて、自分では願掛けの積もりだったが、亡くなった後、音楽に興味が無くなっていた。
こんな事があるだろうか?
今まで音楽さえあればお金が無くたって生きて行けるとずっと思ってた。
生涯を掛けた夢は何ですか?と聞かれたら、音楽です!と昔は答えていたのに・・・
俺の中のランキングの1位は何時も音楽だった。正確には歌を歌う事だった。
以前、医者に暫く歌わないようにと言われた時、歌えない辛さが身にしみた。
このまま声が出なくなったら生きてる意味が無い。とまで思ったこ事もあったのに。
1位の歌が、興味無くなったので、『じゃあ2位は?』
2位は『ハワイ』だ(笑)
でも、1位と2位の差は物凄くあって、生涯を掛けた夢がハワイか?って聞かれると。
違うのかもしれない。
将来ハワイに住みたいと思ってるけど、歌の様に歌って居れば幸せな気持ちになるって事も無いし・・・(´・_・`)
2位以下は皆、大した事ないのかもしれない。そのせいかどうか?俺は欝になった。
親父の死後。自分の生きている意味が分からなくなっていた。
ハワイは癒しの効果があり、欝になったらはハワイ島に養生に行く人が居る。
俺もハワイには何度も助けられた、そしてハワイ島に住みたいと思い、その為に英語を学ぼうと思ったのがきっかけだ。
日本で週1回のレッスンでは、日本語に負けてしまいダメだと思った。
色々調べると、フィリピン留学は他の国より安く充実してる
俺は、バギオにある
BECIを選んだ。
最初に思ったのは、バギオってどこ? マニラ、セブは有名だけど・・・・
どうやらマニラが東京なら、バギオは避暑地の軽井沢って感じの所らしい。
と言うことで『バギオ』の歌を作りました
"Thank you forever Baguio"
08 Mar, 2014 | hajimex |
さて、留学なんぞは初めての経験だし、初心者で大丈夫だろうか?
その心配は的中。最初の1週間で、ナーバスになり。帰りたくなった(^_^;)
先生の言ってる事が分からない。例えばこんな時に使いますと言われても、その例えばが分からない・・・
そこで、部屋でguitarをポロポロ弾いて気分転換しようと、700ペソのguitarを買った(^O^)
それが始まりだった。
さかのぼること1週間前。バギオに到着した日に紹介されたのが、映画監督の今泉光司さんで、その人の招きでパーティに行った。
その直前に、guitarを買って背負って行ったのだ。
行ってみると、バースデーパーティだった・・・
光司さんが、『ギター弾くの?』
俺は実はシンガーで、歌も歌ってますって応え、その場で歌う事になった。
英語の曲は知らないし、誕生日パーティなので、オリジナルの『Happy birthday』を披露した。
フィリピン人の前で日本語の曲、しかもオリジナルなんて誰も知らないし、どうなるかと思ったが、何と喜んで貰えた(^-^)
光司さんが、かなり気に入ってくれて、日本人会の小国さんを紹介するから、明日『キャンプ・ジョン・ヘイ』に来てと言われた。
その後、パーティで出たのが、ヤーコン
味は、梨の薄味の様な、大根の甘い様な感じで、美味しかったです。
庭に生えてると言ってました。
08 Mar, 2014 | hajimex |
翌日にキャンプ・ジョン・ヘイに行きました。
そこで小国さんに引き合わされ、2月にバギオで行われる最大のお祭りで歌わないかと言われました。
突然の話だけど、やりたいと思いました。
多分、前日。喜んで貰ったのが嬉しくてまた、その気持ちを味わいたかったのかもしれません。
その祭りは、Panagbenga Festivalと言って、花のお祭りです。
フラワーフェスティバルとも言います。
その日は、連絡先を交換して帰りました。
そこで行われてたパフォーマンス。
ちょっとイっちゃった感じで、ついて行けなかったです(笑)
その後、小国さんから連絡がありました。
iTunes Music Storeで曲を聴いたそうで、正式なオファーとなりました。
そして、ジャパニーズレストランのChayaで待ち合わせ。
光司さんと3人で打ち合わせをしました。
元々出演予定だった日本のパフォーマンスの人が手違いで出演出来なくなったそうで、そこに現れたのが俺だったそうです(笑)
ショーは野外ステージで、かなりの人が来るそうです。
俺のワンマンかと思いきや、日本とフィリピンのコラボレーションにしようと言う事になり、ローカルシンガーのSendongさんに声を掛け、一緒にステージに立つことになりました。
これが、『Thank you forever Baguio』を作るキッカケにもなりました。
08 Mar, 2014 | hajimex |
この辺でフィリピンの他の事も書こうかな。
フィリピンは治安が悪いイメージがあるけど、日本も良い人も悪い人も居るので、同じようだと思う。
俺が会った人たちは良い人ばかりで、とても恵まれてたかな〜!
それに、物価が安い。マンゴーが安い。タクシーが安い。食べ物も安い。
中でもマッサージはお勧め。
1時間半のwhole body。頭のてっぺんから、つま先までで、250ペソ。
俺は、毎週VISMARマッサージに通ってました。
最初の頃、どこの国の人か聞かれ、日本人だと言っても、ミックスか?と聞かれた(笑)
顔と名前を覚えられて、俺が行くと名前を勝手に書いてくれる。
通常は客が名前を書いて、呼ばれるまで待ってる(ファミレス見たいな感じ)
前に、土曜日に行って翌日。友達を店まで案内したら、『HAJIME、今日はどうする?』って店の人に言われた。
流石に2日連続はしなかったけど(笑)
そして、バギオの名産はいちごです。
正確には、ラ・トリニダッドと言う隣街なんだけど、バギオの名産扱いになってます。
どこの国もそうだね。千葉にあっても東京ディズニーリゾート見たいなもんかな?
BECIのマネージャー企画で、いちご狩りに行きましたが、結構高くて(日本より安いけど)食べ放題で、400ペソだったので辞めました。
因みに、1キロ買うと140ペソで、一人では食べきれません。
それから、学校の仲間と海に行きました。
そこは南国フィリピンって感じで、常夏です。
ハンドレッドアイランドと言って、100の島があるらしいが、先生曰く。
今は98しか無いそうです。ほんとかな?(笑)
綺麗な海でした。一緒に行ったコリアンはとても優しくて、特に目上の人に対して礼儀を重んじるので、俺の事は、HAJIMEさんと、必ず”さん”を付けます。
HAJIMEでイイよって言っても、そこは聞きません。必ず”さん”付けでした(^_^;)
友達にも恵まれたな〜!
フィリピンのマクドナルド、ジョリビーです。
マクドナルドもあるんだけど、フィリピンと言ったらジョリビーなのかな?
味は、マックと変わらないと思いました。
マニラにも2回行きました。
1回目は年越しで、オンラインティーチャーに会いに。
色んな人に出会い、初めて行った家でご馳走になりました。
レチョンと言って豚の丸焼きです。
既に色々食べて居たので、あまり食べれませんでしたが、もてなしの国と言われるだけあって、突然行っても、もてなすのが基本らしいです。
2回目は、少し観光しました。
そこで、自分の姪っ子を紹介するから会ってくれって奇妙な話がありました。
結局会わなかったけど、他の人の話によるとfamilyの誰かが日本人と結婚すると一族がみんな幸せになれるそうです(笑)
酷い時は、根こそぎお金を取られる事もあるそうです。こわ〜
マーケットは刺激的です。balutと言うゆで卵を食べました。
これは、ヒヨコのなりかけが中にいる状態でゆで卵にした物です。
疲れてる時は、最高の栄養剤になるそうです。味はゆで卵と一緒です。
中に硬いパーツがあるけど・・・(^_^;)
俺を変えてくれた Philippines part5へ
08 Mar, 2014 | hajimex |
色んな所で歌いました。
学校で歌ったり、ゲストハウスの
TALAで歌ったり(^_^)
TALAの場合。Facebookのメッセージで突然、翌週の出演依頼が来ました。
マリコさんって方からでした。
マリコさんは、キャンプ・ジョン・ヘイでも見かけてましたが、挨拶出来ないままでしたので。
初めましてでした(笑)
小国さんに紹介されたと言うことでした。
カンカナイ語で歌うローカルシンガー ブライアンが出演するので、その時一緒に歌わないか?って言うお誘いです。
勿論、引き受けました!来るもの拒まず。
もう、これは運命に身を任せ。って言うか流れに乗っちゃえって感じで、行けるところまで行ってしまえって感じになってました。
ブライアンですが、同じくローカルシンガーのSendongとは友達で、お互いにその話をすると先週会ったよ!と同じ反応でした!当たり前か(笑)
老人会?でも歌いました。日系2世、3世の方ですが、日本語は殆ど喋れません。
その人達の前で、やっぱり日本語で歌いました(^O^)
それでも喜んで貰えて、俺も嬉しかった
この日、出来たばかりの『Thank you forever Baguio』も披露しました。
気がつけば、また歌が歌いたいと思うようになってました。
場所は、アボンホールと言って日系の人を支援する所らしいです。
前にも、ここで日本の『書き初め』を現地の子供たちに教えるボランティアをしました。
BECIの友達にボラティアしないか?って声をかけたら殆どの人が来てくれました。
って言うか行きたいって思ったそうです。何故か?と聞くと。
通常、留学して生徒同士、または先生との触れ合いはあるけど現地の人との関わりを持つことは無いので参加したかったそうです。
で、実際は現地の子供も居たけど、女子大生も居て、若い人は喜んでました(笑)
俺はと言うと。
この日、最高に体調が悪く。部屋で寝ていたかったのですが、俺が募集して場所も俺しか知らないので、引率者として参加しました(^_^;)
そして次の日。初めて授業を休みました・・・・(悔)
他には、Chayaで行われた、日本人会の新年会でも歌いました。
Chayaの料理は美味しいです。日本で営業してても文句なく美味しいと思いました。
話は前後しますが、Sendongのホームグラウンド、ラ・トリニダッドにあるDap-ayanに行った時です。
Sendongの演奏中に、ゲスト出演で4曲程歌いました。
俺のオリジナルなのに、コードをAとかGって言うだけで、メンバーが合わせてくれます。
あ〜英語必要ないじゃん!って思った瞬間でした(笑)
英語を勉強しに来て、英語が必要ないと思うのもどうかと思うけど。
音楽って世界共通なんだな〜って実感しました。
学校でも言われました。留学しにきて、打ち合わせとか練習に行く人は、HAJIMEさん位しか居ないよ!って(笑)
そうです、小国さんや、Sendongとの練習に日々出かけて行っていたのです。
しかし、Sendongはやっぱりフィリピン時間で行動してます。
昼1時に待ち合わせなのに、2時に来たり。
彼のオフィスで待って居たら、突然キャンセルのメールが来たり・・・・
でも、自然と腹が立たなくなってました。
俺もフィリピーノのなって来たのかな(*^_^*)
ある日、何時もの様に彼のオフィスで待っていたら、スタッフの女の子が、Sendongは違う場所に居るから、今から一緒にそこに行きましょう。って事になって二人でジプニーで向かいました。
そこはKAPITAL?って所で着いて暫く待ってると、Sendong登場。
Sendongが言うには、最初に飯を食ってからスタジオへ行こう!
って事で、俺はギターを抱えて彼について行きました。
するとそこは・・・・
何と結婚式の会場。まさに式の真っ最中・・・・・何???
Sendongがマイクで喋ってます。その間、俺の周りの人が食事を出してくれて、最初は遠慮したんですが、おめでたい席なので頂きました。
するとSendongは俺のギターで新郎新婦に歌を披露し始めました(^-^)
何曲か歌った後、俺を紹介し始めて、おれも歌う事に・・・・
もう、オファーがくればどこでも歌う積もりだったので『シアワセのカタチ』を歌いました。
Thank you forever Baguio
この曲は、フィリピン人シンガーと日本人シンガーのコラボレーション企画が持ち上がった時に、作ろうと考えていました。
ただ、同じステージに2人のシンガーが入れ替わり演奏するのでは本当の意味でのコラボにならない。
それぞれのオリジナルを演って、さらに同じ曲を二人で歌うと言うのに意味があると思います。
最初のミーティングでは、スキヤキ(上を向いて歩こう)やフォーユーが候補に上がってましたが、Dap-ayanで俺が歌ってるとき、リクエストが来たのです。
日本人シンガーと言うことで紙には『kanpai』と書かれてました。
そうです。乾杯はフィリピンでタガログ語でカバーされてヒットしていたのでした(^-^)
1曲は『乾杯』で決定しました。
もう一曲は、俺が作った曲『Thank you forever Baguio』を演りたいと主催の小国さんに伝えそれをSendongにも伝えました。
SendongはOKでした。
まず、日本語で曲を制作。それを単純にトランスレートしたら意味が変わってしまうし、長さも難しい。
そこで、BECIの日本人教師のHANAさんに依頼しました。
まず、日本語の歌詞とトランスレートした英文をメールで送ります。
それをHANAさんにニュアンスが変わらないような文章にして、それをHANAさんの旦那さんBobbyが、センテンスを調整してくれました。
Bobbyはコラムニストで新聞のコラムを毎週書いてる人でした。凄い・・・
実際の作業は、Bobbyの前で日本語で歌い、1フレーズづつ詰めて行きます。
4分の曲の英語バージョンが出来上がるのに4時間掛かりました。
完成後、3人で祝杯を上げました。
そのお礼に、後日広島のお好み焼きを作りました。
納得行かなかったけど、今ある道具で作れる限界でした。
次回行く時は鉄板持参で行こうと思います(笑)
話はそれましたが、出来上がった英語バージョンをSendongに現地の言葉に訳して貰い。完成です。
Sendongは日本語は分からないが英語は分かるので、こう言う作業になったのです。
1番は日本語で俺が歌い、2番はSendongがイロカノ語で歌い。サビの繰り返しは英語で2人で歌う。
これこそが、本当のコラボレーションだ〜〜!って思いました。
彼の使ってるスタジオでレコーディングもしました。
ここでも、完成後に祝杯を上げました(笑)
色々な思いが交錯してます。
この曲を作ったもう一つの理由は、友達です。
留学と言うシステムは不思議です。様々な年齢や国籍の人がクラスメートになる。
最初に仲間を見送ったのは、バギオに来て3週目でした。
卒業する仲間をバスターミナルで見送ります。
何て辛いんだ〜〜!淋しい・・・・
そんなに深い付き合いじゃないと思ってたのに、見送るのってこんな気持ちになるの?
JOYBUSのターミナルで何回泣いたことか・・・
みんな何かの目的があって英語を学びに来てます。そして去って行きます。
当たり前の事だけど、出会いと別れが毎週ありました。
俺が年上なのでみんな、よく懐いてくれました。
懐かれると嬉しくて一緒に行動してしまい。去って行く時は辛いです。
そして、実は先生も同じ気持ちだったそうです。
3ヶ月教えた生徒が帰国するのは、辛いそうです。
長年やってる先生も最初の2年は毎回泣いていたそうです。
俺も最後の日は号泣して目が腫れてました。お世話になった先生と写真を撮りましたが、全部変な顔です(^_^;)
そんな気持ちを歌にも込めました。
バギオで出会った人、フィリピーノ、フィリピーナ、コリアン、チャイニーズ。
そして日本人。 みんな素晴らしいと思いました。
ステージ本番の前日に、パレードにも参加しました。
コスプレは世界共通ですね!日本のアニメ大人気。
何とTVでも放送され、新聞社のHPにも載りました。
2日間のステージの模様も地元のTVで生中継されました。
ステージ2日目のフィナーレ。
出演者全員で、大騒ぎ!曲は俺のオリジナル『河童』です。
そしてステージが終わり、次の日。
小国さんと、Sendongと最後の食事をしました。
俺がバギオを去る日でした。
不思議な縁だったな〜!
小国さんと別れ、Sendong達と、最後のバギオをブラブラしました。
あちこちにステージが作られ、丁度Sendongの友達も演奏して居ました。
明日はあのステージに出演するんだよ!とSendongが言いました。
『一緒に出るか?』って。
その日に夜に出発するのは知ってるので勿論冗談ですが、嬉しかったです(T_T)
Sendongが自分のCDとDVDにサインを入れてプレゼントしてくれました。
最後に彼とハグをして別れました。
やっぱり涙が出ました。
My fridend Sendong
Sendongのメールは何時も、My friend Hajimeで始まります。
02 Mar, 2014 | hajimex |